だって私は人間だもの。

攫って来た少女を美し過ぎる端麗な天狗に育て、しかし見事な(半)天狗になった彼女は方々遊びに飛んで行ってなかなか帰って来ず、その彼女に大事なもの(風神雷神の扇や奥座敷)をほいほいあげてしまう、今は最盛期の見る影もなくなった失脚した老天狗。もう飛べず、風も吹かせられない。しかし彼は、弟子の狸の非難と忠告に、
「喜ぶ顔が見たいからだ!」
と言う。

「まだ分からんか、愚か者め!」
偉大なる恩師は叫んだ。
「喜ぶ顔が見たいからだ!」

「面白きことは良きことなり!」

と、先ほどの狸の偉大な親父は叫ぶ。次男が酔って化けた偽叡山電車に乗り街路を疾走し逃げ惑う人間を笑いながら。これは次男と偉大なる親父殿の、酒盛り後の愉快な習慣だった。しかし偉大なる親父殿は、先ほどの台詞を吐いた夜、狸鍋になって先ほどの半天狗の美女に食される。